バッハ:管弦楽組曲第2番

J.S.Bach Orchestersuiten: Suite Nr.2 h-Moll BWV1067

J.S.バッハ 管弦楽組曲より 組曲2番 ロ短調 BWV1067

Ouverture(序曲) c – ¢ – (Lentement) 3/4
Rondeau(ロンドー) ¢
Sarabande(サラバンド) 3/4
Bourrée I(ブーレ1) ¢
– Bourrée II(ブーレ2) ¢
Polonaise(ポロネーズ) (Moderato) 3/4
– Double(ドゥーブル=変奏) 3/4
Menuett(メヌエット) 3/4
Badinerie(バディネリ) 2/4

各パート一人づつという演奏に驚いた方もいるかもしれませんが、決して奇を狙ったわけじゃなく当時の演奏は概ねこんな感じで、各パートは1人から2人であったと思われます。

と言うのは宮廷の客間やサロンでの演奏(BGM的な演奏)なので、多い人数で演奏すると客が部屋に入りきれないなので当然といえば当然なのですが(汗)

宗教曲も同じで教会の片隅または2階で演奏するわけでここでも人数が多くても意味が無い。オーケストラは宮殿内と同じ規模で合唱も各パート1人ないし2人でしょう。
よく交響楽団などが大人数で演奏してますが、当時はあり得ない人数です。

現在の交響楽団の規模になったのは劇場で商用コンサートが開かれるようになったロマン派くらいから音量が必要になってからということです。

逆に通奏低音は弦とチェンバロになってますが、曲や場面によって音色に変化を与えるためにリュートやギターなども加わっていたことでしょう。
あるいは太鼓やタンバリンなどの即興も加わっていたかもしれません。

ドゥーブルというのは曲が変奏されたもので省略可。第3ドゥーブル、第4ドゥーブルなどと続くものもあります。
ドゥーブルの代わりに別の舞曲を置くものもありこれが後のトリオ形式と呼ばれるようになります。

フリードリッヒ大王との接見が許されたバッハは王の提示した旋律を元に即興でフーガを演奏し、「音楽の捧げもの」が作曲される切っ掛けとなったシーンです。
当時の宮殿での様子を再現しています。

以下はこの動画の全編です。
「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 第4話 星の順番」

バッハの死因は1750年3月、ドイツ旅行の最中ライプツィヒを訪れた英国の有名なな眼科医ジョン・テイラーの手で2度手術を受けるも術後の炎症の治療中に薬の影響で死に至ったという。
実はこの眼科医はヘンデルの眼の手術もしていてヘンデルも同様に死んでいることから詐欺師とか殺人者とも言われていて、今でいえば藪医者ですが当時の医学水準は現在ではあり得ないほど低くとんでもない治療法が施されていたという事情もあります。
例えば体内にたまった不要物や有害物を血液と共に外部に排出させることで、健康を回復できるという考えから瀉血による治療が行われ多くの患者が血を抜きすぎて死んだとか、虫歯の最善の治療として歯を全部抜いたため摂食困難になり死に至ったとかいろいろと不幸な時代でした。

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