對馬(対馬)に吹き込む風をイメージ。
島の大半の土地が韓国人に買われて、中心街の商店は殆ど韓国人のもの。看板はハングルで溢れています。
中には「日本人禁止」の店も。
一部の韓国の政治家は「いずれ近いうちに対馬は韓国領になる」と豪語しています。
参考
【異聞 防人の島・対馬(上)】対馬で増える韓国人観光客、不動産買収も「有事の避難用か」 家も土地も…「もはや韓国領」(産経ニュース)
http://www.sankei.com/life/print/171029/lif1710290009-c.html
コメント
もうかなり前、対馬へ行ったことがあります。
友人が対馬出身で、長崎に行ったついでに寄ってみました。
のんびりした静かなところでした。
それが、そんなことになっているなんて・・・
友人は結婚して長崎の諫早市にいますが、しばらく話もしていないので
たまに連絡を取ろうかな、と思いました。
曲は、なぜか「争い」を連想させる、壮大な曲に聞こえます。
実は、元寇の戦いを念頭に現在の対馬に重ねてみました。
どちらも朝鮮人(韓国人)が元凶です。
最近の考古学の世界では元寇について、昔の教科書では二度とも対馬と九州本土に於いて元軍と戦ったというイメージですが、実際はどちらも先遣隊の朝鮮軍が相手で2度とも対馬は領民全員が全滅しています。(つまり対馬虐殺は蒙古軍ではなく朝鮮軍)
本土決戦は朝鮮軍相手に鎌倉時代の日本軍は強かったようで、元軍本体の到着前に朝鮮軍が壊滅したため元は日本への侵攻を諦め撤退を開始したとのこと。
また、朝鮮軍は現在の韓国軍と同じように軍船の建造時の手抜きのため脆弱で、残存部隊の撤退時に嵐に耐えられないで沈没して壊滅したのが、のちの神風伝説になったそうですね。