最近オリジナル曲以外のUPが続いておりますm(__)m
伴奏は私が勝手につけたもので元々の歌には伴奏はありません。
もちろん北島三郎ほか沢山の歌手が唄っていますが何れの伴奏もそれぞれの編曲者が着けたものです。
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伴奏部分:Clara
Wikipediaでは以下のように解説されています。
「宮さん宮さん」(みやさんみやさん)は、1868年(慶応4年/明治元年)頃に作成された軍歌・行進曲である。トコトンヤレ節もしくはトンヤレ節ともいう。作詞は品川弥二郎、作曲は大村益次郎とされているが確証はない。事実上、日本初の軍歌と言える。
概要
歌詞は、戊辰戦争での新政府軍(官軍)の気勢を描いている。歌詞の「宮さん」は、戊辰戦争時に新政府の総裁で東征大総督でもあった有栖川宮熾仁親王を指す。
慶応4年1月(1868年1月)、薩摩藩(島津氏)・長州藩(毛利氏)・土佐藩(山内氏)の三藩(頭文字から薩長土)を中心とした諸藩から編制された新政府軍は、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍と戦い勝利した。翌月には、新政府総裁の有栖川宮熾仁親王が東征大総督を兼務して、明治天皇から錦の御旗と節刀を授けられ、東海道の進軍を始めた。
覚えやすい歌詞と明るい曲調により、新政府軍の兵のみならず広く人々に愛唱され、後には「小学唱歌」などの歌集や、尺八、銀笛(フラジオレット)などの楽譜にも収録された。
(Wikipedia)
歌詞
宮(みや)さん宮さん
作詞:品川彌二郎
作曲:大村益次郎
- 宮さん宮さんお馬の前に
ヒラヒラするのは何ぢやいな
トコトンヤレ、トンヤレナ
- あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗ぢや知らないか
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 一天萬乗の 一天萬乗の
帝王に手向ひすろ奴を
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 覗ひ外さず、覗ひ外さず
どんどん撃ち出す薩長土
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 伏見、鳥羽、 淀、 伏見、鳥羽、淀
橋本、葛葉の戰は
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 薩土長肥の 薩土長肥の
合ふたる手際ぢやないかいな
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 音に聞えし關東武士
どつちへ逃げたと問ふたれば
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 城も氣慨も 城も氣慨も
捨てて吾妻へ逃げたげな
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 國を迫ふのも人を殺すも
誰も本意ぢやないけれど
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 薩長土の 薩長土の
先手に手向ひする故に
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 雨の降るよな 雨の降るよな
鐵砲の玉の來る中に
トコトンヤレ、トンヤレナ
- 命惜まず魁するのも
皆お主の爲め故ぢや
トコトンヤレ、トンヤレナ
例えば「てうてき」は「ちょうてき」、「くわんとう」は「かんとう」と読むので注意。
一件混乱するように感じますが、口語では「てう」や「くわん」をそのまま発音する言葉は殆ど無く、また「は」を「は」と読むか「わ」と読むかと同じように規則性があるので混乱はしません
現在日本で使われている漢字は常用漢字が多くを占め、その常用漢字は当用漢字制定前の当時でも普通に使われていた略字や新造漢字がほとんど。つまり当用漢字表の後継の常用漢字表は筆記用略字集と言ったところかヾ(ーー)ォィォィ
文部省の国語審議会は常用漢字表で「常用漢字・新仮名遣い」を省庁の公文書に使うことを義務付け、一般国民に対しては常用漢字の(普及のため)使用することが望ましいと前文で書いています。
つまり一般国民の常用漢字の使用は強制ではなく任意ということです。
その上で、地名・人名などの固有名詞も旧来の字体で良いが、できるだけ常用漢字で書くことが望ましいとなっています。
新聞などでは「智辯学園」を「智弁学園」と書きます。智辯学園のサイトを見ると正式名称は「智辯」であることがわかります。これを無理やり「智弁」と書くのはどうかと思います。
「弁」という常用漢字は花弁は花瓣、弁護は辯護、弁髪は辮髪など5つの同音異義漢字が「弁」に統合されてしまい同じ漢字に異なる意味がいくつも内包されるという複雑なものに。
まあ、智辯学園も智辯學園と書いてないところからいい加減ですが(学の正字は學)。
つまり学校教育で常用漢字(新漢字ともいう)を教えるときに正字(なせか旧漢字とも言う)を教えないで正字で書くとテストで減点されてしまうのは憲法違反ではないかと私は思います。
日本の常用漢字は元々漢字を廃止する過程で作られた当用漢字(のちに漢字廃止は撤回)が元。台灣では正字で困っていない様子で、一方日本では常用漢字の影響でわずか70年前の文献を読めなくなっているという弊害が出ています。
出典
- 小学唱歌. 1 伊沢修二 編 大日本図書 明治二十五年三月(保護期間満了)
- Wikipedia > 宮さん
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